台湾 新竹(2005.2~2005.5)

仕事の終わり(5月下旬)

26日に仕事が終わりました。帰国の時に空港の喫茶店に台湾バドガールが居たので撮りました。 スカートが長いんですよー、それからヘソ出しでした。

 初めての台湾観光(5月下旬)
台湾に10ヶ月も居たのにホテルと職場の往復だけで、観光をした事が無かったのです。 でも、今月になってやっと観光する事が出来ました。凄く楽しかったです。

焼物の街「インクー」でジュースを飲む。右手のコップはジュースのオマケです。

世界一のノッポビルが台北に在るんですよ。

その名は 101 です。

展望台まで行くのに350元。値段を見て諦めて地下レストランに入る。

ここは、「チョウフン」というとこ。山の中腹に在る。

昔金が取れたらしい。今は出店が所狭しと並ぶ。

歩き疲れて、ちょっと一休み。お茶屋さんでウーロン茶を頂く。

外は雲の中、さっきまでドシャブリの雨でした。

 秘密の興奮剤(5月)

その興奮剤の名前はビンロウと言います。 ビンロウは、椰子の種類の木から取れる実(ドングリに大きさ形が似ている) に石灰系の薬品(?)を加えて、何とかという別の植物の葉で包み作った、台湾独特の趣向品です。
麻薬では無いようですが、眠気がとんだりするので長距離トラックの運転手なども愛用するらしいです。 一種の興奮剤のようです。街の中、特に道路沿いにはビンロウとタバコを売る小さな小屋が 多く在ります。

 

その小屋はガラス張りでピンクや紫、ブルー系のイルミネーションに輝き、 売り子さんは若くて可愛い子系の女性が、殿方の好む悩ましいスタイルで店番していて、 客の車が停まると駆け寄ってきてビンロウを売るのです。

1箱50元(180円)くらいで数個入り。食べ方は口に入れて数回噛むと、苦い果汁が出てきて 口の中がエグイ状態になる。そしたら、一緒に貰う紙コップにペッペッと吐き出す。 (必ず吐き出さなければならない)果汁と実が真っ赤になって見える、当然口の中も 真っ赤であります。私も、一噛みしましたが、二噛み目は止めて吐き出しました。 とても、マズイものです。沢山噛まなかったせいか、興奮もせず眠気も何時も通りでした。 このビンロウやり過ぎると口の癌になるとか、歯のエナメル質を侵されるとかで、 健康面ではイマイチらしいです。

 

このビンロウは、年間を通して採取できるらしくお店では客待ち時間を利用して加工もしている。 山中に入るとビンロウの栽培がしてあるらしい。そのビンロウの木は直径がビール瓶ほどあり、 数メートルの高さがあり、高さの割に根を張らないので、大雨などで地滑りなどの災害の危険 もはらんでいるらしいです。

供養 (4月中旬)
4月5日、台湾ではお墓参りの日で休日でした。先祖のお墓に参ったあと爆竹や花火を上げて供養します。 その際、紙で作ったお札(先祖様があの世で使うお金)も燃やして、天に送ります。

ホテルでも、お供え物をして、お札を燃やしました。

散歩 (4月中旬)
今日は日曜日、降っていた雨も上がったので駅まで散歩に出かけました。

新竹市庁舎

東門城と言う所

SOGOがあるのです。あと三越もあります。

新竹駅 駅前広場で、ワンショット。

街中にこの類のお寺がチラホラあるのです。

お寺の前で一枚。

夜市 (4月中旬)
台湾は夜市が盛んです、新竹に来て初めて韓国の周さんと二人(通訳さんの案内付き)で行きました。 美味しい臭豆腐を食べました。

ホテルの屋上 (4月中旬)
ホテルの屋上って、簡単には行けない所だと思っていましたが、今滞在中のホテルは簡単に行けます。 と言うのは、屋上トレーニングジムとランドリーがあるからです。

奥にランドリーが見える。

 

屋上からの景色です。通りの向かい には、球場があり時々ナイターも開催され応援の音がよく聞こえる。

台中訪問(4月中旬)
4月の中旬に台中に遊びに行きました。ホテルマンや職場の人や当時の通訳さん達と、短くも楽しい会話を 楽しむ事が出来ました。
  

仕事場から (3月初旬)
現在、日本人25人、台湾人30人位です。現場の通訳さんは二人居ます。

紹介 (3月初旬)
新竹の風景です。朝は小さな屋台が出て通勤途中の人達が朝ご飯を買って行きます。交差点の中でもお構いなし。

周辺のホテルに泊まっている日本人チームは私も含め、一つのホテルに集合して 乗合ワンボックス車(ワーゲン)で現場に向かいます。


左)現場のPSC(powerchip semecondacter corp )二号館です、12インチのウェハーを 作っている工場です。

帰る時は皆元気になります。

台湾の作業員も元気で帰ります。


ホテルの近くの良く行く屋台で(従業員の人達)

 

春 (2月末)

新竹の春は3月みたいで、春になる前に天気が不安定な事が多いようです。 とにかく雨が多いこの頃です。ちなみに梅雨は4~5月頃だそうです。今日、少し雨が上がって 曇り空になったので窓から写真を撮りましたのでその内載せたいと思います。
 
窓の外には球場が見えます。ビルは台中の方が沢山あったかな? 

 

台湾(2004年8月~2005年2月)

山は高い (2月下旬)
山は高い。あたり前ですよね。そうです台湾の山は高いですよ!何と富士山より高い山が いくつも在ります。一番高いのは399?mで約4000mです。名前は今度調べておきます。

名前は玉山みたいです。第二次大戦の始まり、真珠湾攻撃の時の暗号命「ニイタカヤマノボレ」 の新高山が台湾名「玉山」らしいです。

暖房 (2月中旬)
台湾で暖房なんて、ちょっと変ですが、私の場合は必要です。台中のホテルでは冷房のみで、暖房 設備自体が無い状態でした。無い物ねだりしてもしょうがないのでベッドに潜り込んでテレビを 見ていましたが、ここ新竹は台中より北に位置するので、確実に寒いです。2月17日にここに来て 雨続き気温もかなり下がってます。ホテルに寒いので何とかしてと頼んだら、部屋の空調から暖かい 風が出始めました。そうです、ここは暖房が在るのです。助かったぁ。車に乗っても暖かいですし、 暖房の頻度が高いのでしょうね。台中は冬でも車は冷房を入れます。理由を聞いたら、窓が曇るから だと言うことでした。

今度は新竹です (2月中旬)
台中での仕事が初旬で終わりました。次の現場は新竹(しんちゅう)という所になりました。 ここは、台北の南、車で一時間位に位置します。この現場は半導体工場(PSCというメーカー) で前回に比べると機械類も小さくなりましたが、クリーンルーム内の仕事という面では同じです。
今度は、ここ新竹の事を掲載してみたいと思います。時々覗いて見てください。

結婚指輪 (1月)
私にとっては昔の話ですが、記憶をたどると確か左くすり指にしていたはずです。台湾では 結婚指輪は男性は左手くすり指、女性は右手くすり指にするそうです。
世界では宗教によって様々らしいのですが、左右どちらか一方のくすり指が最多で次が新婦のみ 右手くすり指、変ったところで足の指なんてーのもあるそうです。台湾のように男女が左右別々 の手というのも珍しいみたいです。

トイレ (1月)
トイレは基本的には日本と同じだと思います。公衆トイレの洋式便座は汚い事が多いみたいです。 一部の先住民の習慣で便座に足で乗って用をたすことがあるということです、そう言えば旧ソビエト の南極基地で様式便座に足載せが付いている便器を見た事があります。台湾のトイレで日本と大きく 違うことは、トイレットペーパーをトイレに流してはいけない事です。これはビル等の下水配管の 規格が細くて紙を流すと詰まりやすいという理由からだそうです。便座の横には必ず、くず入れが あるのは使用済みペーパーを入れる為のものなのです。
<以前見た時の洋式便器、足載せがあって面白いでしょ。

新暦の新年 (1月)
日本では新暦を当然のように使いますが、アジア圏ではまだまだ旧暦を使っている国が多いようです。 ここ台湾も旧暦を使うので、新暦の正月1月1日は祭日ではあるものの、だだの月替りと何ら変らないの です。これに引き換え、2月の旧暦の正月は、盛大に御祝いをするそうです。その頃まで滞在していれば、 報告出来ると思います。それから、日立物流の井上さんという方が雑煮の作り方をホテルに伝授して 1月1日の朝食に雑煮を食べる事が出来ました。
そう言えば、ここでは年齢を数え年で表現します。日本でもオジイチャン、オバアチャンが 使っていた記憶があります。
*参考* 数え年とは、生まれた日が1歳です。次の年の誕生日で2歳になります。だったかな? 私も良く分からないのです。

言葉 (12月)
此処台湾には、日本で言うところの方言が2つ有ります。公用語(標準語)は北京語で、 その他に、台湾語と客家語です。私は作業員が教えてくれる言葉を通訳さんに話すと、 「それ何語?分んないよ!」と言われます。発音が悪いのと台湾語と北京語がごちゃ混ぜみたい で意味不明みたいです。まぁいっか!

小さな旅 (12月)
親友の朴さん(韓国)が次の現場に赴任する事になり、その送別でミニミニ旅行(散歩程度) をする事にしました。行き先は、台中から電車で6つ目の員林(インリン)という街です。

 
台中駅を出発。
    
員林の屋台通り、ここは通訳さんの故郷でもあり、その両親が営む屋台にもお邪魔しました。
美味しいチキンカツをご馳走になりました。大きくて美味いのだ!
 
鍋の屋台にも行きました。

靴屋さんで、くたびれかけた私の革靴も新調し足取りも軽く、員林駅を後にして帰りました。

自由な世界 (12月)
ここの犬達は幸せだと思いました。何故って、鎖に繋がれなくて自由に 歩き回れるのです。歩道も無いのに良く無事に過ごせるなぁ!そう言えば 通訳さんちの犬が交通事故に遭ったと聞きました、命には別状無かった ようです。

何かが足りない (12月)
つい当たり前と思ってる事が他の所では違っている事って時々 あると思いますが、皆さんは如何ですか?最近、ここに来て気付 いたのですが小鳥やカラスを見かけないのです。ゴミの量が少な いのか、山に餌が豊富に在るのか?もっと調査してみたいと思います。

通訳さん達 その2 (12月)
先日仲間内の誕生会をした時に出席した通訳さん達を紹介します。


男性は泰ちゃん、女性左はピンちゃん。

結婚式の朝(12月)
台湾の結婚式当日の朝は、前日から宿泊している花嫁を新郎が出迎えに来る事から始まります。
 
花嫁の部屋まで迎えに行き一緒にロビーに下りて来て、花嫁の両親に挨拶をする。
 
  
新郎新婦が乗り込む車には竹、さとうきび、大根の飾り付けが施されています。
 
激しい爆竹の破裂音の中車は式場に向け出発。式の後は別のホテルや宴会場で披露宴パーティー という段取りだそうです。

ゴミ焼き?(11月)
街を歩くと家の前に小さな焼却炉みたいなものが置いてあります。 町内美化運動の推進かと思っていたのですが、通訳さんに聞くと違ってました。 これは、あの世に旅立ったご先祖様達にお金を持たせる為、お金と称して作った紙を ココで焼く為の物でした。ポケットに入っているゴミを入れないで良かったなぁ!

足裏マッサージ
クリーンルームの仕事は立ちずくめの1日で、足腰にこたえます、 そこで私は足裏マッサージを利用してます。1,500円位で1時間。気持ち良くて何時も 気が付くとマッサージは終わっているのに、気絶してスヤスヤとオネンネしてます。

 

屋台
街のあちこちに、屋台が在ります。安く台湾料理を食べる事ができます。ホテルの近くにも在るので 良く利用しています。

 

ホテルの地下
ホテルには工事の関係者(日本人+韓国人)が約100人?宿泊しています。ホテルの地下には 私達の為にカラオケバーを作ってくれました。30~40席のホールです。歌は、曲はちょっと古く 数も少ないけど、良い感じで週1~2回お邪魔してます。

  
ホテルの従業員女性達と知り合いになった韓国のバクさん(左)ノーさん(右) マイクは私です。

仕事現場
少しは仕事している事も信じてもらわないと困るので、写真を一枚載せます。
写真は重量鳶の班長さん(左)と通訳の女性(右)です。 これは液晶パネル工場の4階(担当階)です。ここは100m×200m (測ってはいないけど)くらいの広さがありこの部屋全体に機械類が入りラインが出来るのです。
建物全体がクリーンルームなので、ご覧のようにクリーン服に身を固めての作業です。 黄色い蛍光灯は、紫外線を嫌うエリアみたいです。
現在このフロア―では170名の作業員が働いています、他業種を入れると300名?くらいは 居ると思います。床は所々3.5階から吹き抜けとなっており、階高は普通の建物の2倍は あるので非常に危険なのです。先日も他業種の作業員が転落しました。 「どうか生きて帰れますように。ムニャムニャ。」

必殺スクーター
スクーターにはビックリしました。歌の文句じゃないけれど 「国民の足スクーターは何時でも手軽に乗れる~」3人4人は当たり前、 犬まで一緒に乗ってますょ。

自動車優先
交差点などで横断歩道を渡るときは注意しなければなりません。 日本の感覚でいると車に跳ねられそうになります、歩行者が居ても止まって くれないのです。歩行者が止まり車を先に通した方が安全なのです。

地図さえあれば
市内の通りには全て名前が付けられており、交差点毎に表示されて いるので通り名が記入された地図を入手すれば迷う事はありません。

歩道
歩道と言えば人の歩くところですが、普通日本の大きな都市では 歩道は整備されていて人の安全は保護されていると思いますが、 ここは少し事情が違います歩道と車道が分かり辛いのです。道路を歩 いていて何処を歩いて進んで良いのか分からなくなるのです。公共施設 (学校、公園、博物館等)の周囲は整備されています。どうも軒下は 私有地みたいなのですが、その横の歩道と思われる所には自動車やバイク が駐車していて、歩行者は車道側を歩かざる得ないのです。

  

印象 (9月下旬)
八月に台湾に来て40日以上経ちました。まだまだ暑いですが朝夕は秋を 感じます。
今後私の生活を中心に台中(タイツォン)の街の紹介をして行きたいと 思います。写真はパソコンにUSBポートが無いので後日装備してから掲載 したいと思います。

台中は台湾第三の都市で生活意識水準は高く、現場労働者も地元の人は 少なく台北や台南から集まって来ています。日本人に対しては友好的で 生活して行く上で困ることは無く毎日快適に過ごしています。

交通は、車とスクーターとタクシーが多く、市内バスは日本に比べ かなり少なく私達の移動はもっぱらタクシーを使っています。 10kmで千円くらいでリーズナブルで、SOGOや三越までの 買い物(3km位の道のり)にもタクシーを使います。

   初めての台湾(台中)
8月22日、空路で台中に行きました。目的は観光ではなく仕事です。 大型液晶パネルの製造工場ラインの工事です。渡航して一ヶ月経ちましたが、 残業が22時前後まであるため休みの日曜日はひたすら睡眠不足解消の 寝貯めをします。   

 

トライアル バイク

20、30代の頃、はまっていました。写真は冬ですが、汗をかくほどハードです。

当時乗っていたバイクはホンダTLM200という2サイクルエンジンのものでした。

近年ホンダは4サイクルエンジンのトライアル車に力を注ぎ、ホンダの技術がたっぷり入ったこのエンジンを、スペインで生産しているコタ4Rに搭載しました。
バイク トライアル

放浪メモ (海保)

色んな仕事をしました。古い順で海保、電気工事屋、南極、エンジン修理会社、そして今は専門学校勤務です。

初めの仕事は、海猿で有名な海上保安庁に就職。

京都府舞鶴市に在る学校で現場に出るための勉強をします。

1年間、海の警察官としての勉強や船のエンジンのことをミッチリと叩きこまれました。

卒業して初配属先は羽田航空基地の整備科でした。

航空機の整備士がメインでした。捜索で硫黄島に泊まることもありました。

硫黄島の海岸で佇む青年、遠くには朽ち果てた軍艦と摺鉢山が見える。

一番遠い所は、南鳥島(マーカス)で捜索フライトの仕事でした。当時、自衛隊と気象庁と米コーストガードが常駐していて、気象庁の宿舎に泊めてもらいました。

(写真後日掲載予定)

初めに取得したライセンス(3等航空整備士)の機体がこれ(川崎KH-4)というヘリコプター、3人乗り別名金魚鉢と言ってました。

次に取得したライセンス(2等航空整備士)の機体はベル212で、当時の主力救難ヘリコプター

最後に取得したライセンス(1等航空整備士)の機体は、YS11です。2011年に退役し姿を消しました。

大分空港にてYS-11の前で

飛行機整備士のライセンス取得にむけ,3ヶ月くらい職場に泊まり込み、週末だけ寮に帰る生活をして全ライセンスを取得、この頃が海保時代の黄金期でした。

その後、本店へ転勤(仕事はデスクワーク〈怒〉)でした。

ヘリコプター購入の立会で、貨物船に行った時。

13年の勤務の間で本店(本庁)や横浜支店(3管区)、新潟支店(9管区)、文部科学省(南極)などに転勤しました。