放浪メモ (海保)

色んな仕事をしました。古い順で海保、電気工事屋、南極、エンジン修理会社、そして今は専門学校勤務です。

初めの仕事は、海猿で有名な海上保安庁。

最初の一年は現場に出るための勉強を、京都府舞鶴市に在る学校でしました。

1年間、海の警察官としての勉強や船のエンジンのことをミッチリと叩きこまれました。

卒業後の配属先は羽田航空基地で航空機の整備の仕事です。整備士もフライト業務があり海難捜索で硫黄島に2~3泊することもありました。

硫黄島の海岸で黄昏る青年(私)と遠くに朽ち果てた軍艦そして摺鉢(すりばち)山が見える。

一番遠くは、南鳥島(マーカス)に海難捜索フライトで行きました。当時、自衛隊と気象庁と米コーストガードが常駐していて、私達は気象庁の宿舎にお世話になりました。

(YS-11から見たマーカス)写真一枚だけなので こちらも見てください。

整備のお仕事として、まず3等航空整備士ライセンスを川崎KH-4という機体で取得。写真のとおり3人乗りヘリコプターで、別名金魚鉢といわれていた可愛らしいヘリです。

次に2等航空整備士ノライセンスを ベル212 という機体で取得。当時の主力救難ヘリコプターです。

最後に1等航空整備士のライセンスを、YS-11という機体で取得しました。この機体は2011年に退役して海保から姿を消しました。

大分空港にてYS-11の前で一枚。

当時の生活は、整備士のライセンス取得のために3ヶ月くらい職場に泊まり込み、週末だけ寮に帰る生活をしてました。私にとって、この頃が最も充実していた黄金期と言えるでしょう。

その後、本店へ転勤仕事はデスクワーク(大嫌い)でした。

本店時代ヘリコプター購入の立会で、貨物船に行った時の写真。

13年の勤務の間で本店(本庁)や横浜支店(3管区)、新潟支店(9管区)、文部科学省(南極)などに転勤しました。最高に良かったのは南極に行けた事、達成感を感じることができ自分の生きる場所だと感じました。